須坂取材その1
生糸で栄えた 蔵造りの街並(須坂市)

須坂市は、江戸時代には須坂藩が置かれ、堀氏一万二千石の陣屋町として、また大笹街道と谷街道の交わる交通の要衝地として栄えました。

明治時代から昭和初期にかけては生糸の町として栄えます。財を成した製糸家たちはこぞって豪壮な家を建てました。街はにぎわい、花街が置かれ、芸妓が行き交う小路からは三味線の音色が聞こえてきたといいます。

やがて製糸業の衰退とともに街は活気を失いますが、藏造りの建物がつらなる美しい街並は往時のままに残されます。

田中本家は、江戸時代の中期に創業し、代々、須坂藩の御用達を務め、その財力は須坂藩をも上回るといわれた北信濃屈指の豪商です。現在、その屋敷は博物館として一般に公開されています。

小田切家は、幕末までは酒造や呉服商など幅広く商う豪商として、明治には製糸家として須坂の発展に寄与してきました。昭和後期から空き家となっていた館は、文化施設として生まれ変わりました。

また、味噌や酒など醸造業を営む店が点在し、江戸時代からの味を今も造り続けています。近年ではワイン造りが加わって、須坂の発酵文化はより深みを増しました。

さらに、古民家を再生したレストランやカフェ、雑貨店やセレクトショップ、ゲストハウスなどが次々と開業し、藏造りの街並は、より多彩に魅力を増しています。

田中本家博物館に展示された子ども服。玩具など、大切に保存されてきた収蔵品は数多い。

田中本家博物館の日本庭園。取材時は紅葉の真っ盛りだった。

旧小田切家住宅の土蔵前に敷きつめられた手描きの陶板。

(文/長野プロデュース科  写真/丸山亜緒衣)

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