坂城・長野取材 後編 reach 轟理歩さん

午後は、とうとう私が目標とするグラフィックデザイナーにお会いする。なので、いつにも増して緊張していた。

取材させていただいたのは、長野市にデザイン事務所「reach」を構える轟理歩さん。午前中に取材した成澤さんがつくるワイナリーのロゴやラベル、コンセプトブックなども手がけている。

轟さんは1984年、長野市生まれ。高校卒業後は、都内のデザイン専門学校に進学。進学理由は、純粋に東京へ行きたかったから。そして高校時代に仲の良かった先輩が、その学校のファッション科に多くいたから。

昔から絵を描くことが好きだったとはいえ、この頃はまだデザイナーになりたいと思っていたわけではなかったという。

専門学校を卒業後、轟さんはスポーツ情報提供の会社に就職。しかし、実は競馬の予想がおもな業務だという会社の実態が徐々にわかり、「このままじゃまずい」と感じて、半年で会社を辞めた。

そして、次の仕事を探すべく酒屋の配達の面接に行き、見事に即採用。
「明日から酒屋で働くぞ!」と意気込むものの、直後に広告代理店に勤めている友人から「人手が足りないから働かないか」と電話がかかってきた。そして面接に行った轟さんは、なんとこちらも即採用! こうして轟さんは酒屋店員ではなく、再びデザイナーになったのだ。

あらゆる広告を手がけ、忙しく働いていたある日。美容室へ広告の仕事の打ち合わせに行った時のこと。
先方とは意気投合し、制作費を予算内に抑えることができた。しかしその通りに提示できないことに轟さんは違和感をおぼえた。

思いはいろいろ重なって、4年間勤めた代理店を辞め、24歳で帰郷し、長野市の出版社に転職した。そこでは打ち合わせは営業の仕事で、デザイナーが外に出ることは、ほとんどなかった。

1年半ほど勤め、やはり徐々に違和感をおぼえ、東京に戻ろうかと迷う日のなかで、現在の奥さんと出会う。美容師として長野で働きながら、東京の学校に通う姿に触発され、轟さんは長野市で自分の思うように働くことを決める。

そして声をかけてくれた轟久志さんという同姓のグラフィックデザイナーのもとで働き、お客さんと合わずに仕事するのはありえないこと、必ず直接会って話を聞くことの大切さを改めて学んだ。そして目標としていた30歳を目安に独立して、現在の「reach」を設立した。

さて、恒例の「デザインやファッションを志す10代に向けてひと言」を轟さんにうかがった。

轟さんからの返答は「あきらめること」。
可能性を狭めるということも時には必要だという。

正直はじめ「あきらめること?」と疑問に思う自分がいた。なぜなら私は、とりあえずなんでも全力投球したくなる人間だからだ。

ふと、午前中のぶどう畑での手伝いを思い出した。
余分な芽をつんで、実を切り落とし、ひとつの房に養分を凝縮させる。轟さんの言う「あきらめる」という話が、摘芯作業に重なった。

10代、20代のうちはどんどん興味を広げ、徐々に自分の適性を見極めていく。たぶんそういうこと。成長していくにつれ、言葉の意味がちゃんとわかる日が来るんだろうな。

残り2年の10代は、芽をのばしまくって全力で駆け抜けるぞ~!

 

(取材・文/長野プロデュース科1年 丸山亜緒衣  写真/NP)

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