自己紹介その1 吉田和希

岡学園トータルデザインアカデミー
長野プロデュース科 1年 吉田和希です。

1999年12月28日生まれの18歳。出身は神奈川県川崎市。
3人家族の一人っ子で、ただ今一人暮らし中。

大町岳陽高校を卒業し、在学中は山岳部に所属していました(幽霊部員)。

好きなもの、好きなことは、乃木坂46、仮面ライダー、クレーンゲーム、レジン工作などなど…。

特技は…、なし。
長所は、慎重なところ?
短所はのんびり、マイペースなところです。

好きな食べ物は、麻婆豆腐、あとは甘いものも好きです。

長野プロデュース科を志望したのは、神奈川から来て、長野の魅力をたくさん知り、もっと多くの人に長野の魅力を伝えられればと思ったからです。

長野プロデュース科では、人との対話能力、表現力を身につけていきたい。そしてイラストなどの能力を向上させていきたいです。

将来は、長野県内で、長野らしさを感じられるようなデザインを作っていきたいです。

自己紹介その2 廣石澪里

岡学園トータルデザインアカデミー長野プロデュース科1年
廣石 澪里(ひろいし みおり)です。

2000年3月22日生まれの18歳。

静岡県生まれ、長野県長野市育ち。
父・母・私・妹の4人家族。
長野県篠井高等学校出身で、中学・高校と
吹奏楽部でコントラバスを担当していました。

趣味はお散歩をすること、写真をとること、食べること、ハンドメイドでアクセサリーや小物などを作ること、音楽をきくこと、動画をみることetc…

好きな食べ物は氷砂糖や金平糖などの砂糖のお菓子。

複数ある科やコースの中で長野プロデュース科を選んだ理由は、長野県各地の取材に行って地元を深く知れることやPC、色彩、マナー、マーケティングなど、たくさんのことを学べるお得さに魅力を感じたことです。

将来は自分の好きなことを生かしたお仕事に就けたらいいなぁと思っています。

自己紹介その3 丸山亜緒衣

岡学園トータルデザインアカデミー
長野プロデュース科 2年 丸山亜緒衣

私の名前は丸山亜緒衣(まるやまあおい)です。1999年3月6日生まれで、今年の春に19歳になったばかりです。

出身は新潟県上越市ですが、3歳で長野県安曇野市に引っ越してきました。

家族は、ギター歴30年の父・料理上手な母、5つと3つ歳の離れた姉2人・週2でプールに通う祖母・愛犬ムック7人で仲良く暮らしています。

長野県豊科高等学校を卒業し、在学中はダンス部に所属していました。ちなみにジャンルはヒップホップで、EXILEを想像していただければ分かりやすいです。

最近買ったお気に入りは、年明け早々に購入したDr.Martinの8ホール花柄ブーツです。
買う予定は全くなかったのですが、一目惚れしてしまいついつい…。

志望動機は、長野県で活躍するグラフィックデザイナーになりたかったからです。そのためには長野県のことを見て感じて知る必要があると思い、岡学園の長野プロデュース科に入学しました。

学校への要望は特にないのですが、もしあげるとするなら
冬の第1校舎が寒いということです。なので普段は、素敵な友人・先生方に囲まれ毎日楽しく過ごしています。

将来の展望は、グラフィックデザイナーになるというのは大前提として、週末にペットとお酒とつまみで映画鑑賞することです。

そのために大画面のテレビとスピーカーをゆくゆくは購入しようと計画中です。その時に貯金が100万円あったらなおいいなぁと思っています。

須坂取材その1
生糸で栄えた 蔵造りの街並(須坂市)

須坂市は、江戸時代には須坂藩が置かれ、堀氏一万二千石の陣屋町として、また大笹街道と谷街道の交わる交通の要衝地として栄えました。

明治時代から昭和初期にかけては生糸の町として栄えます。財を成した製糸家たちはこぞって豪壮な家を建てました。街はにぎわい、花街が置かれ、芸妓が行き交う小路からは三味線の音色が聞こえてきたといいます。

やがて製糸業の衰退とともに街は活気を失いますが、藏造りの建物がつらなる美しい街並は往時のままに残されます。

田中本家は、江戸時代の中期に創業し、代々、須坂藩の御用達を務め、その財力は須坂藩をも上回るといわれた北信濃屈指の豪商です。現在、その屋敷は博物館として一般に公開されています。

小田切家は、幕末までは酒造や呉服商など幅広く商う豪商として、明治には製糸家として須坂の発展に寄与してきました。昭和後期から空き家となっていた館は、文化施設として生まれ変わりました。

また、味噌や酒など醸造業を営む店が点在し、江戸時代からの味を今も造り続けています。近年ではワイン造りが加わって、須坂の発酵文化はより深みを増しました。

さらに、古民家を再生したレストランやカフェ、雑貨店やセレクトショップ、ゲストハウスなどが次々と開業し、藏造りの街並は、より多彩に魅力を増しています。

田中本家博物館に展示された子ども服。玩具など、大切に保存されてきた収蔵品は数多い。

田中本家博物館の日本庭園。取材時は紅葉の真っ盛りだった。

旧小田切家住宅の土蔵前に敷きつめられた手描きの陶板。

(文/長野プロデュース科  写真/丸山亜緒衣)

須坂取材その2 グラフィックデザイナー
中沢定幸さん

 

取材前から中沢定幸さんについて耳に入ってくるのは「天才、でも変態」という言葉。一体どんな心構えで取材に向かえばいいのか、定まらないまま取材当日を迎えた。

訪ねたのは「アトリエとお店、ときどき教室 ヤンネ」。須坂の蔵造りの町並みに合った建物だ。ここは中沢さんを含む「nana*t(ナナット)」というデザイナー6人組が切り盛りしている雑貨屋さんで、物販だけでなく、須坂の町を活気づける取り組みをさまざまに行っている。

実は取材がはじまる前、中沢さんとふたりきりになる場面があった。私は平静を装ってはいたが、緊張で心臓はバックバクだった。

目の前にいるのは長野県屈指のすごいデザイナーさんであって、私はまだ心構えができていなくて、失礼のないようにどうすればいいか…。

そう考えていたら、中沢さんが「どうぞ、座って!」と笑顔で話しかけてくださった。話していくうちに私の緊張も少しずつ取れていって、私にとっての中沢さんは「気さくで面白い人」になった。

中沢さんがデザイナーの道に進むことを決めたのは29歳の時。それまでは出版社で編集の仕事をしたり、なんと郵便局で働いていたこともあるという。

ほかの仕事に就きながらも、周囲に「デザインがしてみたい」と話していた中沢さんのところに知人から声がかかり、デザイナーとしての道に進むことになったという。

ここで、中沢さんのデザインしたなかで私が驚いたものを少し紹介しようと思う。

1つ目は、長野駅ビル「MIDORI」にあるコインロッカーに描かれたイラストが、実は中沢さんが描いたものだということ。
私は電車通学しているので、そのコインロッカーを目にすることは何度かあった。そのたびに「目を引くイラストだな~」と思っていたのだが、それを描いたのが目の前にいる中沢さんだったとは。内心すごく驚いた。

2つ目は、中沢さんが岡学園でテキスタイルデザインをしたことがあること。
しかも! その生地で学生が洋服を作り、その服を着たモデルさんの写真が、岡学園の車に印刷されていた。今回の取材にはこの車で来ていたので、あまりにタイムリーすぎて驚いた。

その他にも、須坂クラシック美術館のポスターやチラシ、旧小田切家住宅のロゴやオリジナルグッズなど、中沢さんのデザインが須坂市にあふれている。とても素敵なことだなと思った。

中沢さんに、今、私が1番思い悩んで行きづまっていることについて個人的な質問をさせていただいた。
私はまだ「コンセプト」というのが一体なんなのか、自分の中で答えが出しきれていない。そんな考えのままでは納得のいくデザインはできないだろうし…と、絶賛モヤモヤしていたのだ。

中沢さんの答えはこうだった。

「何を、どう伝えたいか。売るためのツールとして、何が必要で、何が大事なのか。そんなに難しく考えずに、もっと単純に考えていいんじゃないかな。なんなら雑談している時の方がアイディアは生まれやすかったりするよね」

中沢さんの言葉で「慌てなくても、自分のペースでいいんだな」と思えた。確かに、難しく考えすぎていた自分がいたと思う。

そして中沢さんにデザインやファッションを志す10代へのひと言をいただいた。

「興味のあることは勉強して、直接会ったり、見たり、聞いたり、たくさん出歩いた方がいい。そして、やりたいと思っていることは、人に話した方がいい。そうすると誰かしらが必ず助けてくれるから。あとは、仕事に対しては絶対手を抜いてはいけないし、自己満足では終ってはいけないよね」

それまで気さくに話してくださっていた中沢さんが真面目な表情で語るので、言葉の重みを感じた。当たり前のように思われていることが、根っことして一番大事だということに改めて気づかされた。

今回の取材は得るものが多くて、それを自分なりにしっかり吸収できたのは、きっと中沢さんの伝え方が上手だったからなんだと思う。

かっこいいなぁ~。

私もそんな大人になりたいし、中沢さんのように自分のデザインであふれた町を作りたいな。

(取材・文/長野プロデュース科1年 丸山亜緒衣  写真/NP)

坂城・長野取材 前編 Vino della Gatta
成澤篤人さん

近年、長野県ではワインづくりが盛んです。
その品質の良さはすでに知られるところですが、
おいしいワインが作られるのは、すなわち
おいしいぶどうが栽培できるから。

温暖化が進行するなか、長野県の冷涼な気候は
ぶどう栽培にぴったりなのです。

そもそも長野県は、年間降水量が少なく、平均日照時間が長く、
山だらけで傾斜地だらけゆえ、水はけが良く、寒暖差が大きく、
さらに南北に長いため、各地の気象条件に応じて
さまざまな品種が栽培可能で、ぶどうに限らず
果樹栽培に適した自然条件がそろっています。

そして、ぶどうの力を引き出して
土地ごとの個性あるワインを醸すワイナリーが各地にあり、
競うようにおいしいワインをつくっているのです。

成澤篤人さんは、長野市で複数の飲食店を経営し、
シニアソムリエの資格をもちます。
ご自身ので、著書で、あるいは
NAGANO WINE応援団運営委員会を率いて、
長野ワインの魅力を県内外に広く伝えてきました。

ワインの飲み手であり、伝え手でもある成澤さんが
ワインの作り手としての一歩を踏み出しています。

故郷である坂城町で知人とともに育ててきたぶどうは、
すでに委託醸造によってワインとなりました。
そして会員を募って無事に資金を集め、
いよいよワイナリー建設に着手しました。

成澤さんは、2017年は可能な限り畑に立ち、
ぶどうの世話をしてきたといいます。
日に焼けた顔がそれを物語っています。

まもなく収穫をむかえる畑で、摘芯作業を手伝わせてもらいました。
ぶどうの果房へ十分な栄養を行きわたらせるため、
のびすぎた芽や脇芽をつむのです。

ぶどうは生命力が旺盛で、放っておけばどんどんのびるし、
次々と実をつけてしまうが、ひと枝に1〜2房だけ残すことで、
ぶどうの味を凝縮させるといいます。

後列右端が成澤さん。となりが奥さんの有希子さん。
そして、ともにぶどう栽培を手がける
北村智香さん、智洋さん夫妻とともに。

(取材・文・写真/NP)

坂城・長野取材 後編 reach 轟理歩さん

午後は、とうとう私が目標とするグラフィックデザイナーにお会いする。なので、いつにも増して緊張していた。

取材させていただいたのは、長野市にデザイン事務所「reach」を構える轟理歩さん。午前中に取材した成澤さんがつくるワイナリーのロゴやラベル、コンセプトブックなども手がけている。

轟さんは1984年、長野市生まれ。高校卒業後は、都内のデザイン専門学校に進学。進学理由は、純粋に東京へ行きたかったから。そして高校時代に仲の良かった先輩が、その学校のファッション科に多くいたから。

昔から絵を描くことが好きだったとはいえ、この頃はまだデザイナーになりたいと思っていたわけではなかったという。

専門学校を卒業後、轟さんはスポーツ情報提供の会社に就職。しかし、実は競馬の予想がおもな業務だという会社の実態が徐々にわかり、「このままじゃまずい」と感じて、半年で会社を辞めた。

そして、次の仕事を探すべく酒屋の配達の面接に行き、見事に即採用。
「明日から酒屋で働くぞ!」と意気込むものの、直後に広告代理店に勤めている友人から「人手が足りないから働かないか」と電話がかかってきた。そして面接に行った轟さんは、なんとこちらも即採用! こうして轟さんは酒屋店員ではなく、再びデザイナーになったのだ。

あらゆる広告を手がけ、忙しく働いていたある日。美容室へ広告の仕事の打ち合わせに行った時のこと。
先方とは意気投合し、制作費を予算内に抑えることができた。しかしその通りに提示できないことに轟さんは違和感をおぼえた。

思いはいろいろ重なって、4年間勤めた代理店を辞め、24歳で帰郷し、長野市の出版社に転職した。そこでは打ち合わせは営業の仕事で、デザイナーが外に出ることは、ほとんどなかった。

1年半ほど勤め、やはり徐々に違和感をおぼえ、東京に戻ろうかと迷う日のなかで、現在の奥さんと出会う。美容師として長野で働きながら、東京の学校に通う姿に触発され、轟さんは長野市で自分の思うように働くことを決める。

そして声をかけてくれた轟久志さんという同姓のグラフィックデザイナーのもとで働き、お客さんと合わずに仕事するのはありえないこと、必ず直接会って話を聞くことの大切さを改めて学んだ。そして目標としていた30歳を目安に独立して、現在の「reach」を設立した。

さて、恒例の「デザインやファッションを志す10代に向けてひと言」を轟さんにうかがった。

轟さんからの返答は「あきらめること」。
可能性を狭めるということも時には必要だという。

正直はじめ「あきらめること?」と疑問に思う自分がいた。なぜなら私は、とりあえずなんでも全力投球したくなる人間だからだ。

ふと、午前中のぶどう畑での手伝いを思い出した。
余分な芽をつんで、実を切り落とし、ひとつの房に養分を凝縮させる。轟さんの言う「あきらめる」という話が、摘芯作業に重なった。

10代、20代のうちはどんどん興味を広げ、徐々に自分の適性を見極めていく。たぶんそういうこと。成長していくにつれ、言葉の意味がちゃんとわかる日が来るんだろうな。

残り2年の10代は、芽をのばしまくって全力で駆け抜けるぞ~!

 

(取材・文/長野プロデュース科1年 丸山亜緒衣  写真/NP)

上田取材その1
昔も今も人やものが行き交う要衝の地
(上田市)

◇上田市の成り立ち

上田市は、戦国時代に真田昌幸が上田城を築城した折に、城下町として原型が形づくられました。
2016年にはNHK大河ドラマ「真田丸」で町は沸き返ったことは記憶に新しいところです。
真田氏が2度にわたって徳川の大軍を退けた上田城は、現在では上田城跡公園として整備され、全国から真田ファンが訪れています。

江戸時代には北國街道の宿場として、また上州街道が分岐する要衝(ようしょう)の地として栄えました。
かつて上田藩主の居館があった場所は上田高校となりましたが、表門、土塀、土塁、濠などを今でも見ることができます。

また明治から昭和にかけて盛んだった蚕糸業の技術を受け継ぎ、製造業において高度な技術をもつ企業が現在の地域経済を牽引しています。

◇柳町界隈

江戸時代の宿場の様子を色濃く残す柳町界隈。
南北に走る旧北國街道の両側に、白壁の土蔵や、整然とした格子造りの家並みが立ち並びます。

創業350年の歴史をもつ造り酒屋「岡崎酒造」、昭和初期から味噌を醸造している「武田味噌」など、古くからこの地で商う店のほか、東京に本店を構える天然酵母パンの先駆け「ルヴァン」上田支店、東御市にワイナリーを構える「はすみふぁーむ」のアンテナショップなど、古い建物を利用して店舗とする店もあります。

柳町通りの北端にある「保命水」は、近くの海禅寺の境内に湧く水を引いてきたもの。
かつては街道を往来する人々に利用されるとともに、町の人々の生活用水として使われていました。
1922(大正11)年に上田市に上水道が敷設され、また水圧が減ったこともあり、現在は水源として利用はされていませんが、柳町通りに風情を添え、涼しげな水音を立てています。

(取材・文/NP  写真/長野プロデュース科1年 丸山亜緒衣)

上田取材その2 上田市街散策

 


柳町。
街並が、松本市の中町通りに似ている気がする。
滞在時間は30分。短い。


「ルヴァン」
自然酵母で作るフランス風の田舎パン。
お値段はなんと、グラムで測って決めるんです!
私が訪れた際はちょうどあんぱんが焼きたてだったので、
ついつい買ってしまった。


こちらがそのあんぱん。


ちなみに、
バタール、くるみぱん、スコーンも買いました。

そして今回個人的ヒットなお店をご紹介。


「福昇亭」のあんかけ焼きそば!

あんかけ焼きそばの発祥の地である上田市。
これはぜひとも食べておかなければ!
ということで食べたのだが、もうそれはそれはおいしかった。
ポイントはやっぱり「からし酢」だろうか。
上田市を訪れたらぜひ!

(取材・写真・文/長野プロデュース科1年 丸山亜緒衣)

上田取材その3
古本売買だけじゃない
バリューブックスが
暮らしや社会を良くするために
やっていること

◇バリューブックスとは

株式会社バリューブックスは、世のため人のため、本ができるあらゆることを考え、実現するべく邁進している会社だ。
ネットでの古本売買という柱となる事業とともに、寄付や本の寄贈といった事業に取り組み、利益追求と社会貢献を両立させている。

会社創立は2007(平成19)年(2017年で創立10周年!)。
もともとは代表取締役の中村大樹(たいき)さんが1冊の本をAmazonのマーケットプレイスで売ったことにはじまる。
ネットでの古本売買をビジネス化させ、その後、母校である上田西高校の同級生4名とともに会社を設立した。

独自の査定システムを構築し、買取に力を入れ、魅力ある、しかも売れる本を扱う古本屋として、国内最大規模の取り扱い量を誇るまでになった。
現在では上田市内に倉庫3つとブックカフェ「NABO(ネイボ)」をもち、東京事務所があり、そしてアルバイト含め400人超のスタッフを抱える。

寄付事業における取り組みでは、現在、NPOやNGOなど約150団体へ3億円以上の寄付に成功している(2017年6月末現在)。

 

◇上田原倉庫見学

別所線上田原駅のすぐ前に位置する上田原倉庫。
元「万代書店」の建物を利用した倉庫いっぱいに本棚が立ち並び、それぞれに本がぎっしり納まっている。
そして、この倉庫だけで200人ものスタッフが働いている。

ここで古本売買の流れをすべて見学させていただいた。

まず、送られてきた本を査定する。
驚くべきは、査定のための送料と、買い取り不成立の場合の返送料を、いずれもバリューブックスが負担しているということ。

本を捨てる前に「ひとまず送ってみよう」と思ってもらうため、査定時のハードルを下げているのだという。捨てられてしまう本を1冊でも多く救いたいという思いのあらわれだ。

買い取り成立となった本は、キズや汚れの有無など本の状態が1冊ずつ入力され、それが瞬時にして売値に反映されていく。

査定業務は、専門知識のないアルバイトのスタッフでもできるように、レジのような独自の機械で、バーコードリーダーとキー操作だけで入力できるようになっていた。

本は大きさごとに棚に仕分けられ、出品した日付順に並べられる。
注文が入ると、担当者は納品書に記載された、その本を特定するコードを見て、日付の書かれた付箋を頼りに本を探す。
平均で1人1時間あたり200冊の本を抜き出す。この作業を「ピッキング」といって、熟練した人だとその倍量を抜くらしい。


ピッキングされた本は、伝票やチラシとともに梱包され、発送される。上田原倉庫からは1日あたり6〜7,000冊もの本が出荷されていく。さらにDVDやCDも取り扱っている。

1週間ごとに棚卸しがあり、売れ残った本は倉庫の一角で毎週日曜10〜17時に開催される「アウトレットセール」にて、驚きの安値で販売される。

「1冊でも多くの本を救いたい」という思いは、ここにも表れている。

案内・説明をしてくださった倉庫責任者の佐々木佑さん。
元ミュージシャン。アルバイトを経て、今は社員として働いている。

 

(取材・文/NP  写真/長野プロデュース科1年 丸山亜緒衣)

 

コーポレイトサイト
10周年記念専用サイト